第8回世界選手権参戦記 JBSA小澤常雄
本来なら、この参戦記は築地さんが書いている筈なのですが、日頃の“大言壮語、鯨飲馬食”が祟って入院してしまい替わりに私にお鉢が回ってきました。
今回の参加は当初は8名(4名1チームで2組)の予定でしたが、築地さんが入院、奈良の竹本さんが仕事の都合でキャンセルし、井上(I氏)、石田(i氏)、渡部(W氏)、棟方(M氏)、川村(K氏)、それに私の6名となりました、
前々回のニュージーランド大会以来、4年ぶりに日本も参加ですが、肝心の築地さんが入院してしまい渡航手続きがどこまで進んでいるかまったく判らず、書類の確認から始める羽目に・・・
FEGより書類を受け取り、各自に送付して確認してもらったら、W氏より「UAのチケットの名前が違う・・・」、ゲッ、ヤバ、慌ててUAに連絡して名前を変更、当日まで気が付かなかったらW氏は成田から引き返す羽目になるところ事でした。
9月10日
さぁ、出発当日です。成田のUAカウンターの前に(正確には横ですが)12時に集合。
伊丹から乗り継ぎのI氏は3時間前に到着、その後、三々五々と30分前には一人を除いて集合しました。不思議なことにこの時の集合順序は米国でもほぼ同じ・・
UAのカウンターまで税関に来てもらい、銃の持ち出し手続きと搭乗手続きをしてから、昼食です。しばらく日本食は食えんからとラーメン(日本食かなぁ〜)で昼食をすませ時間通りに搭乗して米国に出発です。
離陸後2時間チョイたった所でなにやら機内放送が「ジェネレーターの故障で成田に引き返します」、その後、翼端から○○を盛大に○○して(緑豆が五月蠅いので自主規制します)重量を減らし一路成田に。
成田で国際線乗り換えのゲートから入国。他のメンバーはすんなりと通れたのにK氏は半券をなくしたのとX線検査で怪しげな物体を所持していると疑われ、検査を受ける羽目に。
さぁ、再出発です。シカゴでの乗り換えに不安を抱きつつ6時間遅れで米国に出発です。シカゴでは銃の持ち込みチェックがあります。去年は書類のミス(築地さんのチョンボでしょう?)で時間が掛かったそうですが、今回は6丁の内2丁を書類と照合、他は書類があるかだけでした。この時点で私のゼロハリのガンケースはハンドルが取れ、大きな凹みが出来ていました(誰だ、ゼロハリが頑丈だなんて吹いたのは)
大幅な遅れは出ましたが、なんとか乗り換えができてクリーブランドに到着です。レンタカーを借りに行き、ここから宿泊場所に電話するとなんとFAXの呼び出し音が・・・
開催要項の番号を確認すると間違いはなく、夜遅いのでもうチェックインが出来ないかもと思いつつ一路ホテルに向かいました(後日、この番号はFAX専用で、電話番号は別であったことが判明しました)
ホテルは24時間営業で無事にチェックインでは無くて、i氏がカードを持っていない、M氏は米国で通用しないカードで、キャッシュでの支払となりました。皆さん、米国に行く時は、VISAかMASTERカードを持っていきましょう。カードを持っていない人は大貧民か、問題があってカードを作れない=信用が無い人とみられます。
9月11日〜12日は公式練習日です。
ケルブリーの射場のでかい納屋の中に、参加国の国旗が下げられその下がリローディングテーブルです。早速、ブルーノの店で弾頭、火薬、雷管を買い込み弾作りに入ります。
ここで、去年お世話になった寿司勝のトニーさんが登場です(今年も大変お世話になりました)。
i氏がFEG経由で交換用の銃身を依頼してあるとの事で、トニーさんに同行していただいて銃身交換に行きます。ついでに私も交換($450)しましたが、ここで大きな誤算が・・・
ケルブリーはリーマを変えていて、ケースが合わなくなりました。幸いK氏がフルレングスダイスを持参していたので、何とかケースが使えるようになりました。ちなみにケルブリーで販売しているケースのネック厚は0.0088インチ、ブルーノが0.008インチでM氏はブルーノでケースを買ってブッシングが合わなくなりました。
銃身交換を終わって帰ってくると、W氏が「パンフレットと記念品を受け取っときました」
偉いさんが「メイ アイ ヘルプ ユー」と言ったので、「の〜、(えーと)・・・、さんきゅう」と答えちゃいましたが、なんか相手の顔が強張って・・・
これを聞いて凍りつく私とK氏。
普通は最初に「の〜」は言わんでしょう」が、「さんきゅう、じす たいむ の〜ぶろぶれむ」と言わなきゃ!
どうしよう、国に帰ってから湖東会長と永山先生にどう説明しよう、そうだ聞かなかったことに・・・
午後からテクニカルミーティングがあります。チームリーダーは4時30分に集合のアナウンスが・・・ 日本ではそんなのが有るなんて聞いてないぞ〜。
幸いにもそんなに難しい話ではなく、新しい加盟国、役員の紹介、銃検の注意、誤射の処理、駐車スペースの注意(裏のスロープは止め損なったら池にドボンなんてジョークが)、更にチームメンバーが変更になった国はメンバー表の再提出(日本を含んで3カ国くらい有り)、湖東会長、やはり連絡が必要でした。面倒くさがらずに必ず連絡しましょうね!
9月12日
この日は銃検があります。
チェックシートを記入して銃の重量を測ります。
日本のものと異なるのはすべて英文(当然か)で、弾頭が「プロジェクター」になっている事、銃のシリアルNoを記入することぐらいです。あとLVとHVで銃を変える場合は2枚書く、1丁で兼ねるならLV・HVの両方を丸で囲むくらいです。
簡単な英文ですのでこれ位は読めるようしましょうね、私の物を書き写すのは良いですが、銃番号まで書き写すのは辞めて下さい。
この日の夕方はブルーノのおごりのバーベキュウディナーです。味がどんな物か写真の喰い散らかしからご想像下さい。この他にパンが付きます。コーヒーは無料ですがコーラは自前です。
左は食事風景
奥の左 i氏、奥の右 K氏 立っているのがW氏。
手前の二人はインドネシア選手。
売りに出していた私とi氏の古い銃身の状態をボアスコープで確認し、私の銃身を選んでいきました。
13日より競技の開始です。
まず開会式があります、その後に競技開始です。
LV100でM氏がマッチ2で7位になりました。
明日のHVの為に再度、銃検をうけます。
競技終了後にチームの写真撮影です。
左が撮影風景。
ブルーのTシャツを着た人はプレジションシューティング誌のカメラマンです。
撮影時にあれこれと注文をつけます。
この日の夕食はトニーさんの所で久々の日本食です。
寿司勝の前でM氏
9月14日
この日はK氏がマッチ5で1位です。
PPCの生みの親のピンデールさんが見えていました。開発中の弾頭とダイスを見せていただきました(ホローポイント部を鋭角に絞った弾頭でVLDタイプでした)
競技終了後にケルブリー氏の家でパーティです。スポンサーはシンクレアで、皆さんが買い込んだ品物の代金の一部がパーティ費用になっています。
会場のケルブリー氏の自宅は射場の裏側にあり、写真の様に豪邸です。
豪邸を眺めながら、「Wさんのパンダの代金でレンガ1個くらいは・・・」、W氏「築地さんが途中で掠めてるからなぁ〜」に一同爆笑です。
パーティは綺麗どころの歌あり、ベンチ界の大御所達の紹介有りで大盛況でした。
9月15日
この日は記念すべき日になりました。I氏がマッチ1で1位、マッチ3で2位、LV200のアグリゲイトで8位となりました。
9月16日
今日で公式競技は終了です。
結果がわかった時点で、優勝者は雄叫びを上げ、国旗を持って走り回っていました。当然、拍手の嵐です。
日本チームの結果もバラしましょう。
団体は30位で最下位(石田、小澤、川村、棟方)
個人順位(2GUN)
89位 井上明 .3565
101位 渡部尚成 .3694
122位 石田恵一 .3987
128位 小澤常雄 .4266
134位 川村嘉良 .4559
136位 棟方宏昌 .4642
この日の夕食もトニーさんの所で日本食です。その前に、i氏とW氏の希望で近くのシューティングレンジでピストルの体験射撃を行いました。トニーさんからケルブリー氏に近場でチャカを撃てるところを探してもらいました。結果は・・・本人の名誉の為に秘密です。
クリーブランドに行く機会がありましたら、ぜひアクロンまで足を伸ばして寿司勝を訪ねてください。米国が無理な方は、立川の駅前に寿司勝本店があります。親父さんは私にそっくりだそうです。是非訪ねてください。
9月17日
とうとう最終日です。今日は200ヤード10SHOTマッチが行われます。成績には反映されないお遊びですが、他の国は真剣に撃っています。
結果です。
99位 小澤常雄 .4983
110位 井上明 .5093
125位 棟方宏昌 .5260
130位 川村嘉良 .5730
139位 石田恵一 .6931
140位 渡部尚成 .7136
この後、清掃をして閉会式の場所に移動します。
パーティ会場で突然火災警報が・・・
消防車はわんさと来るは、交通規制が掛かるはで会場の前は大騒ぎです。
消防車の前で私とK氏。
日本人だけではなく、他国の人も消防車の前で記念撮影をしていました。
右は優勝者の表彰です。
食事が始まったのが午後7時、表彰式が終わったのは11時過ぎ、本当に長い1日でした。
9月18日(米国時間)〜19日(日本時間)
さあ、帰国です。荷造りでほとんど寝る時間が無いまま空港へ向かいます。
荷物は1個を除いて重量はOKでした。その1個も1ポンドオーバーで他のバッグに移しかえでOKになりましたが、銃ケースに入れたポリ袋詰めの弾頭が問題となりました。どうも実包と勘違いしたらしく規則では箱詰めで無いと没収と言われましたが、日本人スタッフに電話に出てもらいOKとなりました。
ゲートでW氏がチェックに引っかかりましたが、特に問題は無くここまでは順調でした。
飛行機に乗り込み、さあ出発と言う所で天候不良で飛行延期です。飛行機から下ろされて延々と4時間待たされました。
もう日本行きは出ただろうなと諦めて、シカゴで乗り換えの変更を聞いたらC17のチーフに聞け、C17で確認している最中にC10の最終搭乗のアナウンスが・・・
時差と乗り換え便の遅れでまだ出ていませんでした、お土産は買えませんでしたが、何とか日本行きの便に乗り一路日本へ、無事成田着、と思ったらK氏の荷物が1個不着でしたが、銃は全員の分が着ていたので通関して解散です。
おしまい。