2007年第9回ベンチレスト世界選手権参戦記
                               上野正樹記    湖東編集


本来はドイツで開催され、日本からも2チーム総勢8名エントリーの予定であった。
2006年12月にドイツのワイマールからオーストリアのウイーンに変更されたて情報が途絶え全員キャンセルすることとなった。
しかし日本選手のエントリーが無いことを知ったケルブリー氏から出場要請が会長に来た。
しかし、すでに皆の気持ちが萎えたせいか、わずか3名(川村、上野、湖東)の出場であった。
4人1組で国別成績を争うのであるが3人のため個人参加になったのは残念である。
また、会長に、WBC9事務局長のAlfred氏から抽選会の賞品にしたいのでマーチスコープを寄贈して欲しいとの(半ば強制的な)要望があり、製造元と会長の会社が(泣く泣く)1本提供することになった。これが幸いしてか現地では大変親切な対応を受けた。

8月26日から9月1日までの日程、28カ国 177名 36チームの選手今までで最大の大会となった。
射場はウイーンから40kmほど離れたウイーンノイシュッタトという由緒ある町から15分に位置しているHollesにある軍の射場で、射場は26射座あり、軍が全面的にサポートしてくれていた。日本では考えられない。

各国選手団はこの町や、この近くに宿泊してバスやレンタカーで来ていた。
我々は、何と、射場から遠く離れたウイーンの郊外の住宅地にある簡素なホテルから複雑なアウトバーンを経由し、カーナビも無いレンタカー(オートマのベンツに変更しなければ大変だった)で連日往復したのであった。運転は 20年前に左側通行、左ハンドルを運転した経験しかなかったが、不肖 上野が担当した。

8月25日(土)日本を午前出発
6月に荷物の重量制限が20kgとスポーツ用品15kg(40ユーロ)に変わったが、それでもオーバーしたのでEMSで送る。なぜか帰りは40ユーロ取られなかったのは不思議。
12時間でウイーンにつく、時差ー7時間のため午後到着。空港からオーストリアのアウトバーンを経由し、ウイーン市内に入り何回も迷いながら、ようやくホテルに到着した我々を出迎えてくれたのは、何と、Turkさんであった。
以前 会長に滞在先のホテルを聞いていて、ちょうどスイスに用事があり、その途中だそうだ。Turkさんがこのホテルへ、空港からタクシーで来るとき、タクシードライバーでさえ迷ったそうだ。

夕食はTurkさんと一緒にウイーンのオペラ座の近くのカフエでとる。






8月26日(日)公式練習日1日目 晴れ、風あり
朝Turkさんと公式練習に射場に向かう。日本では殆ど見かけないローターリーが多く特に左折では苦労した。



まずは、EMSで送った装備を受け取り大きなテントのなかのリローディング場所にゆきリローディング準備完了。次は、火薬・弾頭・雷管の入手であるが、火薬はV133、雷管は205Mで問題なかったが、弾頭がバーガー68モリとシーレンモリしかなく、仕方なくこれらを購入。
いよいよ練習開始、風がないかと思いきや短い周期で変わる風があり一抹の不安をおぼえる。
Turkさんには、いろいろご指導受け、一同感謝感激。
公式練習中、トラブル発生(誰かはご勘弁を)。
トラブル1:雷管を抜くピンが折れた。もうだめかと思いきや、弾薬を売っていたドイツ人ガンスミスが直してくれた。しかも頑として料金を取らなかった。
トラブル2:シーター紛失 どこかに転がったようだ? 幸いにもスペアをもってきていたが、紛失したシーターどこからや出てきて事なきを得た。

8月27日(月)公式練習日2日目 晴れ、風あり
1日目と同じ様な状態で、2日間の公式練習が終了した。
川村さんは250発以上を練習で撃ち込み意欲満々。
急遽あすの本番WarmUpがなくなり、最初のみ10分間、あとは7分間となると知らされる。人数が多いので当然の措置であろう。

8月28日(火)試合1日目 LV100 風ややあり
いざ本番。開会式の後、LV100mが始まった。風が弱いと日本選手もまあまあの成績。
上野選手、成績は54位だったがリレー5が微風で、まぐれながらスモールグループの2.95mmを取った。ねらって取れるものではない。マーチスコープのおかげもある。
マーチスコープはアメリカ、イタリア、フランスの選手も持っていて、大会でも注目を浴びた。ロシアや南アフリカの選手からしつこく譲ってくれと請われ閉口した。

8月29日(水)試合2日目 HV100m  風そよかぜ
HV100mでは、会長、風もないのに大きく嘆きの1発!放心、落ち込み。腹痛を仮病にこのマッチ辞めて、もう帰ると言い出す会長を、なんとかなだめる。


試合終了後各国選手の写真撮影会があり日本は3人でやや肩身の狭い思いをしたが遠路よく来てくれたとフラッシュの嵐。








8月30日(木)試合3日目 LV200m 雨 風あり
終日しとしと雨ふりころころ変化する風、しかし会長復活実力発揮にこにこ顔に戻る。

今日は、ノイシュッタトでバーベキューパーティである。
安全のため一度ホテルに戻りタクシーで往復することに決定。ワインも飲めるし・・・
パーティの最後に抽選会があり日本が寄贈したマーチがイギリスの若い選手に当たった。


8月31日(金)試合4日目 HV200m 雨のち晴れ、一日中風が強い。
最初は雨、ころころ風向きが変わり風に強いアメリカ選手も苦労していた。
会長ますます好調、もっと強く風が吹けば良いと。
上野選手 HV200m、リレー3の3発目 不発!(テントの中で湿って、雷管の管理悪かった?)さらにボルト抜いたら、ランドタッチしていたため弾頭抜けて、パウダーが薬室にこぼれる。こんなとき大きなチームなら、すかさず代わりの銃と弾薬交換するのだが、射場長はすかさず状況をみて、隣のフランス選手に貸してあげるよう要請。すぐフランス選手貸してくれた。
残り2分で5発撃ち なんとか助かった。フランス選手の親切に感謝、感謝。
テントに戻り クリーニングし、ランドタッチをやめシート量変更。
もう順位なんて言っていられない気分。

テントで我々の隣のイタリアチームはいろいろ親切にアドバイスしてくれた。余った火薬・雷管などをイタリアに寄贈、変わりにワイン1本貰う。

写真はバーベキューパーティの時のもの






9月1日(土)試合5日目 HV200m 10発
我々は、疲れが溜まったことやHV200x10は総合成績に関係ないため欠席しウイーン観光に切り替えてホット一息。

9月2日(日)帰国 
朝ホテル出発し午後ウイーンを立つ、時差のため日本には3日(月)午前に到着。通関検査後解散。

大会結果

種目 LV100 HV100 LV200 HV200 総合
  mm 順位 mm 順位 mm 順位 mm 順位 MOA 順位
川村 10.090 114 9.352 137 18.764 102 31.452 140 0.4009 132
上野 8.666 54 8.168 85 16.458 54 26.668 101 0.3456 70
湖東 9.276 74 9.468 141 16.718 63 23.312 54 0.3488 73
スモール 2.95   2.32   4.28   6.45      

全成績(下記のHPの左にあるHollsをクリック)
http://www.eurobenchrestnews.com/austria/index3.html

最終的に 会長と上野選手は、目標であった60位のすこし下の成績を確保した。川村選手は種目、風の有無に関係なく、残念ながら100位台をきることは無かった。あるリレーでは輝くものも多くあったが、なにしろ浮き沈みが多すぎた。持続して精度を保てないと順位は落ちる。
会長のHV200mでの54位は、風は強くまとまりが悪かっただけに立派であった。SSで鍛えた成果かも?
今後の課題は風の読みである。釧路か山形で泊りがけで練習するしかないかなー。
トラブルはあったが、なんとか事故なく 大会を終了でき日本選手の面目も保てました。

しかし、ユーロ高には参った。何でも日本の1.6倍ぐらいの物価である。
ちなみに、ベンツCクラスオートマが9日間で1450ユーロ(23万円)であった。
                                   以上